祇園祭、大船鉾「龍頭」製作に携わりました。

龍頭、完成に寄せて

この度、森彫刻所は祇園祭で巡行される大船鉾の舳先をがざる龍頭を制作させていただきました。

 日本を代表するお祭りである祇園祭にたづさわることができたことを大変感謝しています。

 また、大船鉾「龍頭」を制作させていただいたご縁で、彫刻職工の名跡「九山家」の名跡を継がせていただくこととなり大変ありがたく思っています。

 そして「龍頭」制作にお世話になった関係各位の皆様方、改めて御礼申し上げます。

私どもの製作した龍頭が末永く愛され、京都の方々のお幸せと御繁栄を心より祈念申し上げます。


龍頭製作風景

大船鉾 後祭りの動画


大船鉾、引き初めの動画


大船鉾 新調お披露目会後、多くのメディアに取り上げていただきました。

読売新聞 滋賀県民情報(7/15)より引用

京都・祇園祭の後祭りで山鉾巡行(24日)のしんがりを務める大船鉾の飾り彫刻「龍頭」が150年の時を経て復元された。

高さ約2メートル、重さ200キロ、ヒノキの隆々とした彫を手がけた、「木彫りの里」(米原市)の流れを汲む父子で、彦根仏壇の職人らも漆塗りや金箔押しなどで加わった。(龍頭の眼球の部分のみ)

(※龍頭全体の漆箔(金箔)は京都の職人さんがされたそうです。2021.8.3修正)

近江の匠たちの技が古都の大祭を彩る本番までもうすぐ。

大船鉾は、幕末の禁門の変(1864年)で龍頭を含む鉾が消失。

2014年に後の祭りの復活と合わせ、鉾が再建されたのに伴い、地元の四条町大船鉾保存会が龍頭の復元を計画。

消失した龍頭は、江戸時代後期の彫刻師、九山新之丞、新太郎父子が作った可能性が高いことから、瀧尾神社(京都市東山区)に伝わる九山父子の龍の彫刻を参考にするとともに制作者を募った。

その公募に「一生で巡り合えるかどうかの大仕事」と試作品を持ち込み、優れた技術が評価されたのが「木彫りの里」で生まれ育ち、彦根仏壇の伝統工芸士にも認定されている森哲荘さん(69)(同市)。

14年11月、「森彫刻所」を、一緒に経営する長男の靖一郎さん(41)、次男の徹雄さん(39)と制作に着手した。

仏壇や社寺、だんじりの木彫、仏像を手がけてきた経験から彫りの不安はなかったが、部材が大きく重いため、靖一郎さんらも3人がかりの作業を一体でこなし、仕上げ作業も担った。

完成した龍頭は、口をぐっと結び、鋭い爪が鉾の舳先をつかむような姿。

口ひげや背中の鱗、向かい風を受けてなびく火焔など随所に精巧な技が光る。

鉾に芯柱を通して取り付けるため本体も寄木作りにした。

「『日本一きれいな仕上げ』をしてくれた息子らに感謝したい。

木材なので乾燥すれば龍がスマートに見える。

当日はぜひ晴天で」と笑う哲荘さん。

靖一郎さんは「父の龍への思いは理解していましたが、意見がぶつかることも。よく完成したなと思う」と明かし、徹雄さんも「我慢強く龍に向き合う父をより尊敬するようになった」という。

3人は龍頭制作を縁に、途絶えていた九山家の名跡を継ぐことにもなった。

その龍頭に命を吹き込むように両目に漆塗りと金箔を施したのがNPO法人彦根仏壇伝統工芸士会のメンバーで、漆塗師の中嶋誠作さん(60)(彦根市)と金箔押師の宮川浩さん(48)(愛壮町)。

2人は「ありがたい仕事ができてうれしい。ぜひ巡行を見てみた」と言い、同会会長の錺金具師、早野康晴さん(61)(彦根市)も「滋賀の職人が名誉ある仕事していることを広く県民に知ってもらえれば」と期待。

龍頭は、19日の鉾の組み立て「鉾立」から京都市下京区四条町の池坊短大新町門周辺で見学でき、巡行は午前9時30分に烏丸御池を出発。

今年は本体は白木のままだが、木の乾燥を待って漆を塗り、金箔を施す。

同保存会の林邦彦理事長(64)は「龍頭の復元は10年か20年後と思っていたので、森さん親子にはとても感謝している。迫力のある姿をみてきっと感動してもらえるはず」とはなしている。

読売新聞社 滋賀県民情報より引用です。


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祇園祭 大船鉾 龍頭 写真集

・彫刻職工、「九山家」の名跡を引き継がせていただきました。

・京都・祇園祭「大船鉾」 | 公益財団法人 四条町大船鉾保存会

木彫りの里上丹生 森彫刻所

滋賀の伝統工芸、木彫刻ー森彫刻所 祇園祭「大船鉾の龍頭」をはじめ、 神社、寺院の彫刻、仏壇彫刻、看板、山車、仏像、干支、修復、など彫刻の仕事をさせていただいています。